鴨南蛮と圓生の『百年目』

「スープ用鴨肉」っていうのが100gちょっとで300円ぐらいで売ってたんですよ。へえ…見てたら鴨南蛮食べたくなってしまった。早速購入。
 鴨南蛮作ったことないけれど、テキトーにやってみました。皮目からゆっくり焼いて、岩塩、黒胡椒。油が出てきたらネギも焼いて。
 ダシ濃厚にして砂糖も加えて甘めのつゆに。蕎麦は山梨・大泉産のものを。盛りつけて、鴨から出た油を香味油みたいにちょっと加えて、出来上がり。
 うーん…いいじゃないの。肉はもちろんスープ用なので固めだけど、食べられないことはない。もっと薄切りにして今度はのっけよう。このネギでつまみにしたらいいだろうなあ。


○下ごしらえには落語を vol.3

 もやしのヒゲ取りなんかしつつ、落語をよく聞いています。いーんですよねえ…落語と下ごしらえの相性って。これホント。面倒で単調な作業であればあるほどいい。最近ずっとこれです。

 この日は圓生の『百年目』を(小学館落語マガジン「昭和の名人」より)。この噺を聴くのは二回目で二人目。
 ぐぬー…長かったなあ、約58分。下ごしらえすることなくなっちゃった。
「ここで会ったが百年目…」的な意味でのタイトルです。冒頭で昔の商家における奉公システムがきっちり説明される。まず10年間はただ働き、さらに1年はお礼奉公…というところからはじまって大番頭へのステップアップが説明される。
 ここ、昭和30年代ぐらいまでだと「そう、そうなんだよ…」と涙して聞いていたような人も居たんではないだろうか。実際にそのステップを経験されたような方。

 そんな苦労をした末でのぼりつめるのが大番頭という地位。その大番頭さんが主人公、普段は冗談ひとつ言わないような謹厳一直の男なれど、実は色街遊びもこなす二つの顔を持つ男(でも使い込みなどは決してしない)。
 それが川遊びの最中に店の主人とばったり遭遇して…という噺。

  以前聴いた志ん朝さんのが大好きで。それを聴いたとき、こんなことつぶやいてる。

CD『志ん朝復活・ち』を聴く。『百年目』。あたたかさが江戸の言葉や志ん朝さんの声や節まわしにのって伝わってくるというか、こころに流れ込んでくるかのよう。感極まる。こういう人のこころに触れていると、ほんの少しだけ自分も優しくなり、徳というものを解することが出来るような気がする。

 
 なんだけれども、今回の圓生テイクでは途中で女の人の着物や下着談義になったり。それはそれで面白いけど、間延びしてしまった印象。噺自体より圓生を楽しむことが出来るひとはそれでいいのだろうけれど。