勝どき『かねます』
勝どきの立ち飲み店、『かねます』の毛ガニサラダ。
きれいにむかれた身の下には、ポテサラならぬカニサラが、みっっちり。
味噌も入って、カニ好きの私にはもう、しんぼうたまらん一品なんである。開店と同時にうかがったけれど、あっちゅう間に客でいっぱいになった。いつも変わらぬ、人気店。
私のカニ好きは、「すり込み」なんだと思う。
父が、カニが好きだった。ことに毛ガニが大好きだった。
父は私と違って、食べものに執心するようなひとではなかった。昔の田舎の男らしい、無口で働き者で、真面目なひとだった。保険の営業マンで景気のいいころだったから、接待でよく有名店なども食べ歩いていたようだったけれど、舌の肥えないといいうか、家で贅沢をいわないひとだった。好物といえば、湯豆腐。
「つまんないひとなのよ。作り甲斐が、ないの」
母が一度、そういったことがある。
そんな父が、何かの折にいいことがあると、たまに毛ガニを買ってきた。
それを食べている父を見て、こんなに豊かな表情ができるんだな、と子供の頃に驚いた。
父は営業マンで、それも昔ながらの営業マンで…愛社精神というのか、売上目標邁進一徹というのか、よく働いて、働いて。遅く帰ってきて、早く出かける人だった。小さい頃、ほとんど平日は顔をあわせていなかったと思う。
「月曜の朝、会社へ出かけるときに、お前は俺に向かって、『また、きてね』、って言ったことがあるんだぞ」
記憶にない。
日曜の父は寝て、起きて、体から疲れが抜けないで、ほうけていることがほとんどであった。ナイターが始まるころにようやく人になるというか。無口で、夜はビールを飲んで、湯豆腐で。何は話しかけても「ふん…ふん…」と答えるか、無言だった。
本当に忙しくて疲れてしまうと、人と口をきくのも億劫になる…社会に出てから、分かった。
そんな父が精気を取り戻すのは、毛ガニを食べているときだった。父の田舎は青森の八戸で、向こうでは名産なのだという。もちろん田舎でも毛ガニはご馳走で、父にとって毛ガニは、心の思い出があるんだろう。身を取り出すのも、ほじるのも、とてもうまかった。きれいにむいた足の身を、父から手渡しでもらって食べたときのことは、生涯忘れないと思う。
おいしかった。
父に、まだ毛ガニをご馳走していない。何もお返しできてない。
『かねます』で毛ガニを食べて、そんなことを思いつつ、帰った。
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