三宅坂にて

 あの日は、とあるお手伝いで三宅坂国立劇場にいた。

 小劇場の楽屋にいたら揺れを感じて、そのうち楽屋全体が揺れだした。
 いっこうに揺れはおさまらずどんどん強くなっていく。自然とみんな楽屋口を目指していた。まっすぐなど歩けなかった。建物全体が揺れて壁同士がぶつかりあっているような気持ちの悪い音が鳴り響いてくる。耳からも恐怖が入り込んでくる。
 出演者は着のみ着のまま、浴衣姿のひと、顔に白粉をぬり始めたところのひと、白粉を落としたばかりのひと、衣装を着けてさあ舞台に出る直前という人。みなが楽屋口に集まってきた。黒子や大道具さんが浴衣姿の連中の間に交じっている。受付向かいの大きなガラスがバリバリと音を立てて揺れていて、割れてしまうのではないかと怖かった。
 私はとあるひとのお付きで劇場にいたので、その方を守らなければ、という思いがなんとか自分を支えてくれていたように思う。大劇場の楽屋からは公演中の歌舞伎役者もぞろぞろと出てきた。


「外よりも中のほうが安全です、ガラスの落下があるかもしれないから出ないで下さい!」

 国立劇場のひとがふれ回っている。まだ揺れている。入口にある神棚のお神酒などが落ちてくるのではないかと心配した。
 私のすぐそばには、歌舞伎役者のKがいた。顔が土気色で、精気をすっかり地震に吸い取られたような表情だった。
 私はこのとき本当に怖かったし、告白すれば脛が軽く震えていた。そんな自分が情けなかったのだけれど、「憔悴しきった二枚目の表情」というものを観察してしまういやらしい自分も同時に存在していた。
 楽屋浴衣で軽く胸前がはだけ、もう結構なお歳なんだが、二枚目としては歌舞伎でもいまだ最高峰のひとり。その彼が、すべての気持ちが萎えて厭世の極みのようなその表情で楽屋下駄箱の脇にへたりこんでいる。その姿はある種の男の色気を存分に醸していた。

 ようやくおさまったとき、存外みんなすぐに笑いあったりして、一転のどかな風景が広がった。何事もなく平常に戻っていくような気がした。そう思ったらすぐに第2の地震が「そうはいかないぜ」とばかりに来た。また大きかった。先の思いを再体験しつつ楽屋口に全員が向かった。

 もうダメなのかもしれない。そう一瞬思った。このまま大きな揺れがさらに大きくなって止まらないのでは、と。
 しかし今思えばそんなことを思えるだけ私には「余裕」があったのだ。また私のそばに、さっきと同じ場所に座り込んだKがいた。そしてこちらも大名題、Nもそばに来ていた。そして私がお付きをしている先生もあった。この3人のそばで死ねるとしたら、すごく豪華なことだな、などという卑しいことすらも思っていた。バカバカしいが、本当にそんなことも思った。

 ようやく地震がおさまって、とりあえず楽屋に戻ろう、ということになった。そのとき大劇場の楽屋に去っていく役者Kの後姿を目で追ったら、どういうわけが膝から下がスラリと裾からのぞいていた。尻っぱしょりをしていた訳でもないのになんでだったか。しかしその線の見事さ、アキレス腱がスッと浮かぶ形の良さに、以前歌舞伎座で観た『かさね』の与右衛門の素晴らしさを思い出さずにはおれなかった。

 劇場の舞台に敷かれた所作台が地震でずれてしまいグチャグチャになってしまった。重くて厚い木の板がイキモノのように動いた痕跡がそこにあった。ずれて出来た溝が地割れのように見えてなんとも不吉だった。照明も止め具に不備がうまれたかもしれない、何かあって公演中に照明が落ちてくるかもしれない、総点検には徹夜で丸一日かかるだろう……。
「今日の舞台は中止とします」
 そのおふれが出て三々五々帰宅、のはずだった。
 ここから先はもう周知のとおりだと思う。三宅坂の前の道は車で埋まり、すぐにまったく動かなくなった。徒歩での帰宅者で道が溢れ、タクシーなど呼べようもない。私の付いている先生は70代なので歩いて帰るのは無理。先生のお宅は人形町なのでさほど遠くもないのだが、さて、どうしよう。
 空をゆく鳥をこんな気持ちで眺める日が来るとは、ゆめにも思わなかった。

「少し時間を潰しますか」
 劇場の隣にあるホテルのカフェでお茶でもしているうち、道も動き出すだろう。なんて考えで我々は移動した。
 怖かったねえ、こんなことってあるのか、と笑って気を紛らわしていた。
「ガスが止まってしまったので一切料理は出来ないのです」
 ギャルソンがそう説明する。私たちは紅茶やケーキを頂いていた。
 
 カフェは人でいっぱいだった。笑い声が響いていた。心の動揺をかき消したい――そんな思いが充満していたと思う。そしてみんな「またあの揺れがくるのでは」と思っていたに違いない。そこは側面全体がガラスだった。私は、すごく悲惨な情景を想像せずにはおれなかった。

 とても書ききれない。今日はここまでにしておく。