カンノーリ ―イタリアのお菓子―


 先日、とあるイタリアンで出てきたこのお菓子。
 カンノーリ、という名前はそのまま「円筒形」という意味なのだそう。シチリア島の伝統菓子だという。生地はカリカリ、中はリコッタチーズを使ったクリームが入っている。見た瞬間、懐かしい思い出がよみがえった。
 9年ほど前にイタリアに旅行した。ミラノからフィレンツェ、ローマを駆け足で回ったが、まず驚かされたのは、英語が全然通じないことだった。

 ミラノのレストラン、今思えばすべてこれ思い込みなのだけれど――ミラノという街は世界から観光客はもとより、ファッション業界の人間が集まる場所だもの、「レストラン英語」ぐらい、ある程度のクラスのお店なら当然困らないだろうと思っていた。軽率だった。
 イタリアに来てまず覚えた「Birra(ビール)」という単語、そして「アンティパスト・ミスト」(前菜の盛り合わせ)で難なくスタートしてしまったのも、よくなかった。パスタも「ペスカトーレ」だの、「フィットチーネ」だの、最近は耳に馴染んだ単語が多いので、メニューを指差せば問題ない。そこまでは、良かった。会話の必要があまりなかった。


 さてそろそろメインでも、というときに「ホワットイズディス」が通じない。
「フィッシュ」「ミート」さえも通じない。ウェイターの目が、お葬式でお経を聞いているときの参列者のようになっている。さっきまで「ボーノ(おいしい)!」などといって笑みを交わした私とミラノのウェイター。今でも覚えているが、彼は若い頃の森本レオに似ていた。さっきまでのレオ・スマイルはどこへやら、あっという間に私を見る目が異星人をみるようなそれに……。
 焦ると思考って止まりますね。英語が通じない――ということに中々気づかなかった。レオがイタリアなまりで「ノー・イングリッシュ」といっているような気がしたので、「スピーク・イングリッシュ?」とたずねると、思いっきり顔を横に振る。
 ここで諦めてお会計すればいいのかもしれないが、私は嫌だった。なぜなら相当おいしかったんである。前菜もパスタも「ガーン!」とするぐらい美味だった。活き活きとした野菜の旨味、初めて食べる生パスタ、ポルチーニというキノコのソースのコク……人生初、これが最後かもしれないイタリア旅行、たとえ一夜(ひとよ)のコースといえど、ラストまで堪能したいんだ(その頃は通貨がまだリラで非常に安く、貧乏ライターでも結構贅沢ができたのだ)。


 レオ似のウェイターはいいやつだった。「ちょっと待ってろ」という仕草をして厨房に入っていく。
「誰か英語できるやついないかー!?」
「いるわけないじゃないか!」
「ノー!」
 多分こんな会話だったんだと思う。ふとっちょのシェフが大きく両手を広げていかにも「無理!」という表情を見せている。厨房から他のウェイター・ウェイトレスに聞きまくったのち、なんと他のお客さんにまで「英語できないか」と聞いて回ってくれている。ああああなぜこんなオオゴトに……イタリア語で喋らナイト……。
「悪い、このレストラン中聞いたけど英語喋れるヤツいないんだよ」
 レオは間違いなくそういっている。ちくしょう……いってることは判るのにこっちのことを伝えられないもどかしさ……ここで彼らの親切を無駄にしてなるものか。その労にも報いたい、なんとしても美味しいメインをオーダーしたい!


 私は意を決した。私の全精力と技術をもって、海老と牛を体全体で表現してみた。なぜ海老と牛かというと簡単そうだから。すでに心は北島マヤ。私は心に「マイ・月影千草」をセットアップした。「篤司さん、あなたは今海老です!」「おらぁ……海老だ……」
 その瞬間「白目」の私。腰を曲げて両手の指で「カサカサカサ」としたあの手足の動きを表し、そして後ろにスーッと下がるあの動き。「それが食べたい!」というジェスチャー。隣のテーブルから拍手が来た。レオが「※^△#!」と叫ぶ。「海老か!」といってくれていることを祈る。牛は鼻輪のジェスチャーと「モオ〜」で通じた。イメージしたのは「ひょうきん族」の「吉田君」だった……って、ここら辺ほとんど分かる人にしか分からないネタですね。すいません。
 結局、美味しいスカンピ(テナガエビ)と牛のグリルにありつけた。ひと舞台終えた私には格別の味であった。皿もきれいになったころ、さっきの太っちょのシェフがレオと一緒にやってきた。
 そのとき彼が出してくれたのが、カンノーリである。最早カンノーリの話だったことも覚えてらっしゃらないかもしれないが、シェフが「プレゼント」と出してくれたのだった。プレゼント、といってくれたような気がするだけだが。わたくしの身を削ったパフォーマンスがデザートを呼んだ。感無量である。そのときのカンノーリはシナモンの香りがした。
 久しぶりに食べたカンノーリ。あのサンタクロースみたいなシェフと、レオ似の彼は元気だろうか。その後軽く勉強したイタリア語で、彼らと話をしてみたい。


(文=白央篤司)