「食」に関してのメモ日記、はじめました

 私は雑誌の記事を書いて暮らしている。食べもののことを書かせていただくことが、割りに多い。
 いつも思うのだが、きちんとした修行をなさった板前さん、シェフというのは、本当に話が面白い。素材、技術、器、そしてそれらすべてを包括しての「もてなし」ということ……そのすべてに、当たり前のことかもしれないが、一家言お持ちなのだ。誰一人として「なんとなく、上からそう習ったから」という「前ならえ」だけの人はいない。先達の発見と推敲に、さらに彼らの自分なりの発見を重ねて、おのが哲学としている。彼らだけの金科玉条を聞き出すのは、もの書きにとってこの上ない喜びだ。
 ただ、それらをすべて紹介できるわけではない。それが…………悔しい。ああ、もったいないったらありゃしない。いや、分かってるんです。誌面というのは常に限りがあり、そしてやはりその店の核をなす部分が優先される。それは当然のこと。
 けれど、例えば微細な部分。例えばフレンチ。その店の名物料理の脇にちょこんと載っている「付け合わせ」、ガルニチュールに込められた工夫と手間のこと。例えば鰻屋、立派なお重の側に佇む「ぬか漬け」は、実は三代も前から女将さんが毎日かき混ぜて保ちつづけた結果の味ということ。そうだ、その日の旬と女将さんの帯模様が「掛け合わせ」になっていた、なんてこともある。
 そんな、やもすると雑誌からはこぼれがちなエピソード、取材メモに書かれたままの、「もったいない」話を、ここでは披露していきたい。
 タイトルは、おこがましいのを承知であえて厚顔無恥に、日本が生んだもっとも卓見の美食家の一人、高峰秀子さんの著書をもじらせて頂きました。
 本家のブログともども、どうぞよろしくお願い致します。

 2008年6月 白央篤司