柿の思い出


 新潟県下越地方に、新発田市というところがある。日本酒好きの方には、「菊水酒造」の里としてご存知の方があるかもしれない。そこから更に車で30分ほど、山あいを進んだところに、母の実家があった。赤谷、と呼ばれていた小さな村。
 山を越え川を越え、一面の緑。夏休みになると、祖母の待つ赤谷によく行った。車窓から見えるのは畑と田んぼのみ。「モーゥ」という声が聞こえると、突然車中がたまらなく臭くなる。牛小屋のある場所を、どうしても毎年忘れてしまう。いつもあの角にきたら窓を閉めよう、と思っているのに。
赤谷の集落は、茅葺きの家々が残る小さな村だった。お手洗いは汲み取り式、佐藤、阿部、佐久間さんの三氏のみしかおらず、それぞれ本家、分家が点在していた。


 冬になると、それはそれは雪が多かった。毎日雪かきをしても、朝起きればまた同じ厚みの雪が屋根上にある。降ろしても降ろしても、毎日積もる雪、その量。灰黒い空からゆったりと落ちてくる重たい雪の粒を見つめていると、不思議な気持ちになった。今思えばそれは無常、という気持ちだったのだろうが、そんなことはまた別に書き留めたい。
 降ろした雪が高く積み上げられた庭を歩くのが好きだった。かんじき、という水グモのような履物をつけると、易々と雪の上を歩ける。庭に植えられた柿の木や松、屋根がなんとも近くて、背が延びたようで、不思議な勇ましさを感じた。小学三年ぐらいだった私は、雪の上を歩くのが楽しくて仕方なかった。
 たまの雪休み、雲の切れ間の朝を迎えるときがある。朝日がなんとも嬉しく、大きな氷柱(つらら)のしずくがきらきらと輝くのに息を呑んだ。こんな日は、雪歩きにもってこい。さっそく繰り出せば、まだ誰も踏まぬはずのさら雪に、ところどころ野球のボール大の穴が開いている。
 それは、取り残しの柿が重みに耐えかねて落ちた跡だ。のぞけば、熟しきった実がこちらを睨んでいる。この、トロトロになった柿が好きだった。まわりが軽くシャーベット状になっているのが、とてもおいしい。ひと口かじって吸い出すと、チューッと中身があふれ出す。あれが、柿の一番おいしい食べ方だと思う。
 しかし残念なことに、今でも柿の木は健在だが、雪がまったく降らなくなったそうだ。


 随分とほったらかしにしていたら、柿が冷蔵庫で熟れ切っていた。ひと吸いして口に溢れた感触が、そんな昔のことを思い出させた。