東銀座 歌舞伎そば


 大学時代、よく歌舞伎座に通っていた。一限と三限、というふうに授業が空くと、幕見にせっせと通っていた。12年前ぐらいだろうか。さほど今と値段も変わらず、一幕七百円〜千円ぐらいだったと思う。交通費も入れると、昼飯は限りなく安くすませたい。そんなとき、ここの蕎麦屋さんは重宝した。安くて、なかなかだよと誰かが教えてくれた。歌舞伎研究会(そんなサークルに、ちょっと私は顔を出していた……)の誰かだったろうか。
 歌舞伎座のすぐ隣にあるのだが、お客さんは歌舞伎座の観客というより、近隣の会社員が多かった。頼めばすぐに出てくるのが、重宝されていたのかもしれない。
 正直にいって、そばの香りや歯触りがどうこうという店じゃあない。天ぷらも、外人さんが喜びそうなスーパークリスピーな歯ごたえ。ちょっとお年寄りにはつらいのでは、と思うほど。写真は「もりかき揚げ」四百四十円。しかし、不思議にクセになる一品なのだ。これは、理屈じゃない。風情の味、というのだけでもないと思う。
 店内には幕見の時間表が貼ってある。久しぶりに訪れれば、何も変わっていない。味も、店内も。すみっこに、大学生ぐらいの子がひたすらに蕎麦をすすっていた。あっという間に食べ終えて、歌舞伎座の幕見の階段に消えていった。私はそのとき、東銀座の松竹で試写を終えて帰るところだった。
 歌舞伎座も、歌舞伎そばも、ちっとも変わらない。変わったのは、私の腹の出具合と、ひげの濃さだけだ。